小説

『運動会』 「運動会、楽しみだね」 あの日、あの子はそう言って笑った。 焼けた肌に白い歯がまぶしかった。 私はただ、頷いてみせた。 風に乗って、歓声と拙いアナウンスが聞こえてくる。 私は無理を言って病室の窓際に座らせてもらい、その声に耳を傾けて…

『キス』 「えー! したことないの!?」 部室の外のベランダ。 隠れて昼寝をしていた俺の耳に、聞きなれた声が届いた。 「ふ、二人はあるの?」 ユイの問う声。 二人の小さな笑い声。 「だって、ねぇ」 「もう中二だよ」 なんだそれ? 俺、三年なんだけど………

『真剣勝負』 「じゃあ、勝負する?」 私はテーブルの上にあったヘアピンを掲げて見せる。 隣町のケーキ屋さんの小さな箱を挟んで、私とチトセはにらみ合う。 季節限定のモンブランと、定番の生チョコショートケーキ。 どっちが先に選ぶのか、いつもの真剣勝…

『宅配お姉さん』 大きな段ボールの蓋を必死に開けていると、玄関のチャイムが鳴った。 「こんちわ〜住田さ〜ん! 届け物ッス〜!」 届け物? 今日引っ越してきたとこなのに? なんだろう、親の言ってた電器屋かな? 訝りながらドアを開けると、赤いジャージ…

『小さなため息』 海からの冷たい風。 常夜灯の明かりが砂浜を照らす。 僕らは丸木の柵に腰かけて、他愛のない話をする。 バイト先の変な客、少し前に見た映画、初めてキスした時のこと。 妹みたいな存在だと思っていた。 一緒に食事したり、たまにカラオケ…

『拉致』 駅前の商店街。 夕方を過ぎて、人通りはまばら。 本屋に寄ったからちょっと遅めの時間。 いつもの帰り道を歩いていると、僕は拉致された。 黒い高級車が近付いたかと思うと、車内に引っ張り込まれる。 一瞬の出来事。 広い後部座席の上、学生服を次…

『快楽主義者』 ベッドの上。 シャワーの音が聞こえる。 僕はカバンから、小さな箱を取り出した。 中にはたくさんの写真。 一枚手に取ると、海を背景にナオミがビキニで笑っていた。 トップは付けてないけど、しゃがんでいるから全部は見えない。 次の写真は…

『夏』 ヒマワリが雨に揺れている。 庭は大きな水たまりになってる。 たくさんの雨の粒が、地面にぶつかっては跳ねる。 少し蒸し暑い部屋の中。 私たちは並んで座って、庭を見つめていた。 台風が三つもまとめてやってきて、もう一週間、外で遊べない。 ナツ…

『今日の献立』 オーブンを開くといい匂い。 俺はミトンの手で、四角い耐熱皿を取り出した。 「グラタン、グラタン〜!」 ハナはもうリビングのテーブルにつき、フォークを持って待ち構えている。 「今日はなに〜? 秋鮭? カボチャ? 普通にチキン?」 「意…

『秋祭』 神輿の片付けを終えて広間に戻ると、マコトが抱きついてきた。 「コウくぅん! お疲れさま〜」 これ、どうしたの? 「お酒、飲み過ぎ」 ミコトが答える。 ああ、お神酒か。そういや、去年もこんなだったっけ。 いつもは静かな玄関脇の広間。 大人た…

『赤い玉』 マヒロはよく、楽しくないのに笑う時がある。 私はそれに気付いた時、どうすればいいのかわからなくなる。 放課後の美術室。 彼女はキャンバスに向かって、いつものように筆を使う。 殺風景な部屋の片隅。 今日も残酷な絵を描く。 広がったスカー…

『本当の君』 今日は座ることが出来た。 僕はカバンから携帯ゲーム機を取り出すと、電源を入れる。 イヤホンを着けると、車内の騒音はオープニングのテーマ曲にかき消された。 主人公が森を抜けて新しい町に到着する頃、電車はいくつめかの駅で止まる。 ドア…

『男の子の遊び』 ヒカルにボールが渡った。 走りながら膝の小さなトラップでキープし、ドリブルに移る。 小学生とは思えない滑らかな動きだった。 俺も負けずにオーバーラップし、ヒカルからパスを受け取りやすい位置に走り込む ――と同時に、ヒカルからの低…

『アキくんの思い出作り』 奥歯がガチガチと鳴る。 僕は両手で身体を抱く。 さささ、寒いです、先輩。 「情けない! こんなので弱音を吐くわけ!? それじゃ、あたしの跡を継ぐなんてとても無理だわ!」 いや、継ぐ気ありませんし……。 「そんな言葉は聞きた…

『再会』 君と再会したのは、夏の終わり。 霧のような雨の降る朝だった。 君の腕には白い物が巻かれていた。 離れていた間、君に起こった出来事を、私はニュースで知っていた。 「久しぶり」 「うん、久しぶり」 「それ……」 私は君の包帯を見る。 「ああ、う…

『愛の言葉』 図書館の入り口から一番遠いベンチ。 その子はいつも、そこにいた。 折り目正しい白いブラウスに、背筋の伸びた姿勢。 蛍光灯の明かりの下、膝に大きな本を乗せ、ページをめくっていく。 「ああ、いつもいる子でしょ? ちょっと変わってるよね…

『初恋の人』 僕はオルガン用の椅子に腰掛けて、リコーダーの練習をする。 先生は、気の向くままにピアノを弾いている。 放課後の音楽室。 夕暮れの光が、格子模様に壁を切り分ける。 僕は立ち上がると、そっとピアノに近付いた。 先生は目を閉じたまま、鍵…

『記念日』 来客用駐車場に続く並木道。 肌寒い風が吹くたびに、赤く染まったもみじの葉が、紙吹雪のように舞い降りる。 その道の真ん中に、女の子がいた。 背中まである髪が、陽射しの中で艶やかに揺れていた。 切れ長の目は半分伏せられ、憂いを帯びた表情…

『Pledge of the Knight』 薄暗い廊下の窓から見下ろすと、中庭の真ん中で使用人たちが輪になって歌っていた。 弦楽器の音に合わせて、輪の中心で男と女が踊る。 小さなランプの明かりが、地面に長い影を描く。 誰も私には気付かない。 ――あれは、違う世界で…

『あの子の夢』 水の流れる音で目が覚めた。 まだ暗い明け方。 ベッドを抜け出して裏口に出ると、いつか見た女の子がそこにいた。 朝霧の中、施設の洗い場で身体を洗っている。 褐色の肌がまぶしかった。 「水、気持ちいい」 僕に気付くと、その子は悲しげな…

『背丈』 裏山を抜ける近道。 車の付けた轍の上を、私達は歩く。 落ち葉が足元で、乾いた音を立てる。 タカヤは軽快な足取りで前を行く。 手にした枝で、野草を払う。 その仕草も、面立ちも、まだ子供にしか見えない。 制服なんて袖が余ってる。 家が隣同士…

『ライバル』 ユミに告白した。 昼休み、音楽室からの帰り。 リカと廊下を歩いてるところに、突撃した。 ユミは顔を真っ赤に染めて、リコーダーやら教科書やらを足元に落とす。 予想通りのリアクションに、俺は思わず笑ってしまった。 「わ、笑うとこじゃな…

『嫌い』 夕日に向かって全力でブランコをこいだら、赤とんぼが鼻に当たった。 ―――!! あたしは思わずバランスを崩す。 一番高い所で、落ちそうになった。 必死でブランコに掴まる。 後ろ、前、後ろ――と揺れて、やっと地面に足がついた。 こ、こわかったぁ…

『アキくんのお昼休み』 「で、では失礼します」 女の子は顔を赤らめると、小さくお辞儀をして駆けていった。 なんかこう、おとなしそうでいいなぁ。 すれてないっていうか、可憐さがあるよな。 なのに……なんで……。 中学校舎と教職員棟をつなぐ、屋上の連絡…

『プレゼント』 甘い香り。 黄色に、青に、オレンジのケーキみたいなかたまり。 巨大なクグロフ型。 凝ったプレゼントみたいなラッピング。 外国の生鮮食品売り場のようなディスプレイ。 駅ビルの中の石鹸屋さん。 僕は君に付き合って、店の中に入る。 小さ…

『今週のアキくん』 体育館に続く渡り廊下を歩いていると、先輩に肩を叩かれた。 「今週の標語、考えてきたわよ」 そう言って、胸を反らすと前髪を払う。 標語――。 きっとまた、おかしな事を言い出すんだ、この先輩は。 「いいですけど……、僕には関係ないで…

『雨の日』 雨の日のにおいは嫌い。 甘くてベタベタしてるから。 雨の日の音も嫌い。 ブツブツといつまでもしつこいから。 一人バス停に立っていると、誰かが隣に立った。 濡れたズボンに、合服のベスト。 傘を傾けると、リョウが雨に濡れながら、不機嫌そう…

『大人の階段』 怖いんなら、やめとけばいいのに。 「いいのー! するのー!」 俺のベッドに座り、ハナは駄々をこねる。 短いお下げがパタパタと揺れる。 先生に怒られるぞ? 「い、いいもん!」 母さんも怒るんじゃないか? 「もうー! 自分はしてるくせに…

『かけっこ』 よ〜い―― どん! 先輩が弾かれたように飛び出す。 全力で走る。 揺れるお下げ。 膨らむ制服のブラウス。 教科書通りの綺麗なフォーム。 僕もそれを斜め前に見ながら、本気で走る。 「勝ったら譲ってあげるよ」 今度の土日に開催される、ちょっ…

『引越し』 ぎざぎざの葉っぱが、膝の上に落ちる。 見上げると、木の葉の隙間から細い光。 大きな石のベンチに、僕たちは並んで座っている。 ちづ姉ちゃんは両足を前に伸ばして、行儀の悪い姿勢。 「――引越し、決まったんだ」 僕は驚いてその顔を見つめた。 …