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『かけっこ』
よ〜い――
どん!
先輩が弾かれたように飛び出す。
全力で走る。
揺れるお下げ。
膨らむ制服のブラウス。
教科書通りの綺麗なフォーム。
僕もそれを斜め前に見ながら、本気で走る。
「勝ったら譲ってあげるよ」
今度の土日に開催される、ちょっとしたイベント。
先輩はどこからかチケットを手に入れていた。
僕がその挑戦に、乗らないはずがなかった。
前髪を跳ね上げる、向かい風。
校庭の端から野球部のかけ声。
先輩を追い抜き、僕はゴールの藤棚を駆け抜けた。
「――やっぱりあなた、陸上部に入るべきだと思う」
先輩は藤棚の下のベンチで、荒い息を整えながら言う。
そんな事よりチケット下さい。
先輩は首を振ると、息をついて、胸の谷間に挟んだチケットを口でくわえて抜き取った。
「ん!」
受け取れって事?
ほんと、そういうの好きですね。
僕はひょいっとそのチケットを手に取る。
「ひーん! 奪われたぁー」
先輩が言い出したんじゃないですか。
「ほんと、うちの部に入って欲しいんだけどな」
ぶつぶつ言いながら立ち上がる。
スカートのポケットから何かを取り出した。
「じゃあ、土曜日九時に駅前集合よ」
同じチケットをひらひらと振ってみせる。
………。
僕を、走らせたかっただけですか。
「うん、そう」
こんにゃろう!
汗で張り付いた後れ毛を払いながら、明るく笑う先輩に、僕は軽い殺意と劣情を抱いた。
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