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『拉致』
駅前の商店街。
夕方を過ぎて、人通りはまばら。
本屋に寄ったからちょっと遅めの時間。
いつもの帰り道を歩いていると、僕は拉致された。
黒い高級車が近付いたかと思うと、車内に引っ張り込まれる。
一瞬の出来事。
広い後部座席の上、学生服を次々に脱がされ、僕はやっと我に返った。
たたたたすけてぇ!!
「静かにしなさい」
男は有無を言わせず僕の服を脱がすと、衿と袖口にフリルのあしらわれた白いシャツを取り出した。
今度は無理矢理着せようとする。
どんな趣味なんだよ! 意味がわかんないよ!
車内は広く、前の座席との間に仕切りがある。
なんていうんだっけ、こういうの?
リムジンとか? 合ってる?
なんて事を考えてる間に、シャツを着せられ、細身のパンツでウエストは締め上げられ、髪を撫で付けられた。
お、おがあざぁんん!
僕は涙目になりながら叫んだ。
何故か前の席から、くすりと笑う声が聞こえた気がした。
抵抗する気力を失いかけた頃、車は静かに停止した。
少ししてからドアが開き、僕は外に出るよう促された。
なに? 出ていいの?
逃げちゃいますよ?
真新しい革靴で車外に降りると、そんな考えが失せるような光景が僕を待ち受けていた。
長い石畳の道。
分厚い真っ赤な絨毯。
その両側にはずらりとお辞儀をした人たち。
なななにこれ、映画?
ていうかそれ、メイドのコスプレですか?
怯えて車内に戻ろうとすると、中からさっき僕の貞操を奪おうとした、背の高い男の人が降りてきた。
「どうぞ、お進み下さい」
言葉は丁寧だけど、逆らう事の出来ない力を僕は感じた。
びくびくしながら長い絨毯の上を歩き、大きな屋敷の玄関をくぐる。
絨毯が柔らかすぎて、二回くらい転びそうになったけど、誰も笑わなかった。
屋敷の中は天井が高く、海外の映画で見た屋敷か、ゲームに出てくる大きな洋館みたい。
大きな絵や、彫刻や剥製が、所々に飾られている。
窓も扉も大きくて重厚だ。
僕は、生まれて初めて巣穴から出た子ネズミのように、おどおどしながら周りを見回す。
さっきの男の人に先導されて長い廊下を進むと、両開きの扉にたどり着いた。
彼はその前で立ち止まると、僕に向かって丁寧にお辞儀をした。
それを合図に扉が開く。
眩しい光が部屋から溢れた。
そこはまるで大きなダンスホールのような部屋で、静かな音楽が流れていた。
見回すと右手に低めの舞台があり、そこで十人ほどの奏者が楽器を演奏している。
口をぽかんと開けたまま、視線を移していくと正面の一段高くなった場所で、見覚えのある人物が不機嫌そうに窓の外を見つめていた。
「っっせせせせんぱい!?」
先輩は肘掛けを叩いていた指先を止めると、僕の方をキッとにらむ。
お、怒ってるの――かな?
っていうか、何これ!
こここ、先輩の家!?
先輩は見慣れない白のドレスを着て、長い髪をアップにしてる。
いつもの先輩と同じ人物だとは思えないくらい、ちょっとありえないくらい、すっごい綺麗。
「……アキ、今日は何の日?」
絶対零度の囁き声。
は? なに?
どういうこと?
ななななんのひ?
僕の思考は真っ白になり、その後全てが絡まって、頭の中にまるで曼荼羅のような複雑な模様を描き出した。
「忘れたの!?」
先輩が勢いよく立ち上がる。
ああ、なんか言ってる……。
なんだろう?
先輩、歩く姿も綺麗だなぁ。
気付くと先輩が目の前に立っていた。
僕のタキシードの裾をぐっと握る。
「祝ってくれるんでしょ?」
はぇ?
いわう?
………………。
ああああああああ!!
わわかったぁあ!!
っていうか、これがそうなの!?
ちょっと前に言ってた、お誕生日会ってやつ!?
……たしかに、行くって約束しました。
はい、しました。
でも庶民の僕の常識では、これはお誕生日会ではないですよ!
一体どこの王族ですか!
「ただのお食事会じゃない」
先輩が唇を尖らせる。
その横顔を見ながら、僕はカバンの中に入れていた一冊の本の事を思い出した。
プププレゼント! あんな子供向けの絵本、こんなとこじゃ出せない!
ももっといい物買うべきだったぁ!!
先輩はゆっくりと部屋の中を歩く。
「あ、そういえばプレゼント受け取ったわ。ありがとう」
そう言いながら先輩が、見覚えのある小さな赤い本を掲げて見せた。
へ!?
ななななんで先輩が、それを持ってるんです!?
ていうかそれ、買った本じゃないです!
色は似てるけど違います!
「選ぶの、すっごく悩んでたわね。
あんなに真剣な顔見たの初めてかも。嬉しかったわ」
ちょちょっと待って!!
先輩は僕の声を無視し、白い手袋の指でページをめくり始める。
ややぁめぇてぇええ!!!!
止める間もなく読み上げた。
「十月二十五日、今日はプールで泳いだ。
死ぬほど寒かったけど、先輩の照れた顔は可愛かった。
先輩がどうして僕をいじめるのか、ちょっとわかった気がし――」
途中で先輩の声が止まる。
「――これ、本じゃない気がする」
小さく首を傾げた。
さっきの男の人が急いで先輩に駆け寄る。
小首を傾げた先輩。
透けるような肌とちょっと当惑の色を浮かべた目。
ああ……。先輩、綺麗だなぁ……。
どこかがショートした頭でそう考えつつ、僕は本気で死にたくなった。
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