『初恋の人』


 僕はオルガン用の椅子に腰掛けて、リコーダーの練習をする。
 先生は、気の向くままにピアノを弾いている。
 放課後の音楽室。
 夕暮れの光が、格子模様に壁を切り分ける。
 僕は立ち上がると、そっとピアノに近付いた。
 先生は目を閉じたまま、鍵盤の上に指を走らせている。
 誰か有名な人の曲らしいけど、僕には詳しいことはわからない。
 でもそれを弾いている先生の姿を見るのは、好きだった。
 赤い光に照らされて、いつもは白い頬が、火照っているかのように見える。
 美人なんだと思う。
 ――すごく。
「これはね、愛する人に捧げるために書かれた曲なの。
 先生の大好きな曲なのよ」
 小学生に愛とか言ってもわかりませんよ、先生。
「そんな事ないわ。
 きっと音楽に、年齢は関係ないはず」
 強引ですね。
 でも、先生がそういうのなら、そうなのかもしれません。
「君はいつもそういう話し方をするのね。
 もっと子供らしく可愛く出来ないものかしら……」
 これは、僕の個性です。
「それはそうなんだけど……」
 もしかして、子供らしくして欲しいんですか?
 どうして?
 先生は譜面台に額をコツンと乗せると、少し潤んだ目で僕を見上げた。
 一人言のように呟く。
「初恋の人に、似てるのよ――ね」
 鍵盤に触れた先生の指が、小さな旋律を奏でた。
 ……初恋?
「あ――」
 先生は、慌てて身体を起こすと顔を背けた。
「へ、変な意味じゃないのよ!?
 ほんとよ?」
 夕暮れの明かりの中でわからなかったけど、きっと先生の顔は赤くなってたんじゃないかと思う。
 僕はちょっと困って、でも何だかそう言う先生が可愛く思えて、小さく笑ってみせた。


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