『Pledge of the Knight』


 薄暗い廊下の窓から見下ろすと、中庭の真ん中で使用人たちが輪になって歌っていた。
 弦楽器の音に合わせて、輪の中心で男と女が踊る。
 小さなランプの明かりが、地面に長い影を描く。
 誰も私には気付かない。
 ――あれは、違う世界での出来事なのだ。
 そう感じた。
「手袋が、汚れます」
 振り向くと、そこに彼がいた。
 私はその言葉には答えず、窓に触れていた手袋をその場で剥ぎ取った。
 絨毯の上に投げ捨てる。
 彼は黙ってそれを拾い上げた。
「お嬢様も、何かお聞きになりますか?
 それでしたら、すぐ準備させますが」
「いらない」
 私は視線を払うと、その脇を抜ける。
 広がったスカートの裾が、彼の足に触れた。
「失礼しました、お嬢様」
 即座に、詫びの言葉を述べる。
 私は立ち止まると、彼の顔を睨んだ。
 こんなもの、着たくはない!
 お前のそんな声も聞きたくはない!
 ずっと、前のままで良かった!
 一緒に遊んでいた頃のままで良かった!
 何故お前は、そんな喋り方をするようになった!?
 いつからだ?
 誰のためだ?
 父のせいか?
 あの男にどれ程の力があるというのだ!?
「嫌いだ」
 声が出ていた。
 思わず視線を外した。
「……嫌い? 私がですか?」
 そうだ!
 でも――、そうじゃない。
 私は唇を強く噛む。
「父だ」
 瞬間、彼が息を呑んだのがわかった。
 だが、それを感じさせない落ち着きで口を開く。
「ご主人様は、お嬢様を愛してらっしゃいます」
 詭弁だ。
 あの男は私を、付属物としてしか見ていない。
 アクセサリーと同じだ。ステータスの一部なのだ。
 私をここに閉じ込め、玩具のように扱いたいだけだ。
「父は、誰も愛したりはしない」
 私はもう一度、彼に視線を向ける。
「私も同じ。
 誰も愛さないし、信じない」
「……そう、ですか」
 彼が少し、目を細めた。
 私にはそれは、彼がまだ少年だった頃、涙をこらえていた時の表情に見えた。
 沈黙。
 窓の外では、陽気な曲と笑い声。
 そう、誰も信じない。
「――お前以外は」
 私の声。
 彼の顔に、珍しく表情のようなものが浮かんだ。
 それは、素直な驚きを示すものだった。
「……なぜ?」
 私のためなら、ミズノ、お前は死んでくれるのだろう?
 昔、そう言ったろう?
 約束してくれただろう?
 私は彼の目をじっと睨む。
 精一杯の想いをこめて。
 もう一度、あの言葉が聞きたい――。


 どのくらいの間だったのだろう。
 きっと、心臓が数度、拍を刻む程度の一瞬。
 彼は私の想いに気付いたのか気付かなかったのか、つと目を逸らすと、目の前の扉の錠前を外した。
 そうか……。そうだな。
 私は黙ってその扉をくぐり、また檻の中へと戻る。
 永遠の闇に歩を進めているかのような、重く、不安な何かが私の中に広がる。
 涙をこぼしそうなのだと気付き、私は驚いた。
「君のためなら――死ねるよ」
 閉まりかけた扉の向こうで、彼がそう呟いた。
 その声は昔と同じ少年のものだった。
 私の頬を、熱いものが伝った。
 その夜、ミズノは私の父を殺した。


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