『人形』


「かんぱーい」
 小声で言って、グラスを合わせる。
 夜空の下、屋上の階段に腰掛ける。
 寮での飲酒は禁止されている。
 大声は出せない。
 カオさんは、レトロな花柄のスカートを広げて座り、最近出来た古着屋を批評している。
 ヨーロッパ系が多いとか、インテリアのチョイスがいいとか、でも店員が無愛想だとか。
 私はそれを、時折頷きながら聞いている。
 聞いているが、本当はカオさんとただ一緒にいたいだけだ。
 カオさんになら、何でも話せる気がする。
 私はカオさんのようになりたい。
 服も、化粧も、喋り方も、生き方まで。
 私は人形でなくなりたい。
 今日、カオさんの真似をして、男子の部屋に行った。
 カオさんに一度紹介された事のある男子だった。
 私はやはり人形のように横たわっていたが、結局目的は果たせなかった。
 逃げるようにその部屋を出た。
 夜、寮の風呂で男子の体液を洗い流しながら、涙が溢れた。
 その後、カオさんがお酒を持って私の部屋を訪れた。
 廊下に嗚咽が漏れていたのかもしれない。
 私には友達がいない。
 誰かが話しかけてくれても、咄嗟に返事が出来ない。
 間合いを失い、そのまま有耶無耶になってしまう。
 カオさんには友達が多い。
 いつも笑顔で、誰とでもうまく話す。
 誰もが目を奪われるほどの美人なのに、開放的で、人との間に垣根を作らない。
「男の事なんて、気にすることないよ」
 不意の声に、私は顔を上げた。
「ユウの良い所はあたしが知ってるよ」
 意味の無い褒め文句。
 カオさんの言葉とは思えなかった。
「私の良い所って、何ですか?」
 カオさんは面食らったような表情になった。
「私にはわかりません」
 グラスを持ち上げて、カオさんが言う。
「奥ゆかしくて、それでいてしっかりしてて――」
「違います!」
 私は、カオさんを真似して買った古着のブラウスの胸を掴んだ。
「奥ゆかしいんじゃなくて、単に人と喋れないだけ! しっかりしてるんじゃなくて、ただ怒られるのが怖いだけ!」
 俯いていたら、涙が零れた。
「……カオさんみたいになりたかった。でも、なれなかった。私はもう、私でいたくない」
 グラスの中身が、コンクリートの地面に広がっていく。
 カオさんの視線を感じた。
「――ユウ」
 顔を上げるとカオさんの唇がゆっくりと動いた。
「あたしは、しってるよ」
 私の奥まで見通す目。
「ユウの、してくれたこと」
 私の呼吸を止める声。
「あいつを、殺してくれたんだよね」
 カオさんの口元がほころぶ。
 私はそれを見ている。
 前にもこんな事があった。
 そうだ、私の子供の頃の話をした時だ。
「きっとあの男は、へやをまっくらにしたよね」
 私のために泣いてくれた時だ。
「そのあと、ユウにこういったはず」
 私を抱いてくれた時だ。
「ユウはわたしのいれもの。ユウはわたしにひつようとされている」
 殺した父親の言葉と、昼間男子が私を抱きながら言った言葉、そして今カオさんの発した言葉がひとつに重なる。
「愛してるよ、ユウ」
 私はもう何も聞きたくない。
「大好きだよ、ユウ」
 私はもう何も考えたくない。
「私の可愛いユウ」
 星空が綺麗。
 私は人形に還る。


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